共感されないことに不満を感じることがある。優しく話を聞いてもらっているのに。
何にどこに共感するかはその人の自由だ。それに共感するフリをするのは疲れることだし 嘘ついて共感してるフリをしてもらってもうれしくない。 それなのに不満を感じることがある。私の共感してほしいポイントに共感してくれないことに。 今まで共感してもらってうれしかったとき、安心したとき、ほっとしたときって、なにげなく、何を期待するでもなく 話してて、それで共感をもらって、あ、うれしいと感じれたとき 自分は共感ほしかったんだ、と気づく、気づいて知ったことに安心するみたいな感じだと思う。 共感をもらえてうれしかったときというのは 自分の中でもやもやしてた感情にちょうどヒットした感じ、なんかなと思う。 つまり共感をもらいたい感情というのは 自分の中で処理しきれていない、自分の中に居座ってしまってる感情、ってことなんじゃないか。 共感を強要することはできないけれど、共感して欲しかったのにしてもらえなかった!と思うことがあるのなら、それは自分の中になにか感情のしこりがある、と捉える機会でもある、ということだ。 私に興味を持ってくれる人で その人が 私が大事だ、大切だという事に ちゃんと耳を傾けてくれると信頼できる人ならば、共感ではなくても、伝わった!という感触を感じることができるはず。 あ、、欲しいのは共感オンリーじゃないんだな。伝わった!という感触が欲しいんだな。 伝わった!という感触がほしいというのは 自分の感情が誰かに ということに限るのではなく 誰かの感情が自分に ということでも うれしく感じるんだな。 伝わった!はデカイ。 自分の伝えたいことが伝わった! 相手の伝えたいことが伝わった! はウレシイ。 伝えたいことがワカルことはすごくすごく大事でうれしい。 自分の伝えたいことはなんなんだろう。??
by kohanana22
| 2008-03-01 19:11
|
Comments(0)
|
カテゴリ
以前の記事
お気に入りブログ
メモ帳
最新のトラックバック
ライフログ
検索
その他のジャンル
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧
|
ファン申請 |
||