一所懸命リハビリすることで着地点を目指そうとしていました。けれども私の実感としては「これはどこにも着地しない嫌な習慣」でしかありませんでした。
リハビリをしても着地する場が見えなかったということですが、どのような内容を行っていたのでしょう? 端的に言うと、パントマイムみたいなものです。例えば、コップを持つという動きはコップがそこにないのに練習しても仕方ありませんよね。 つまり、動きは必ず体だけでなく、体とコップ、体と重力、体と他者といったように、自分とそれ以外の要素が絡み合って生じています。 しかしながら、その頃のリハビリは、世界から断絶された真空状態がありえると思っていて、その型を体にはめていこうとしていました。 理想的なモデルが予めあって、それを身につけさせるのを主眼としていた? そうです。歩き方や膝立ち、寝返りのモデルなどがありました。でも、動きの意味は歩いている環境やベッドだとかの文脈によって与えられるはずなのに、それが根こそぎにされた状態で、純粋な型を体にはめていこうとした。そういうことをいくらトレーニングしても現実に対しては空振りなわけですから、到達点は見えないのも当たり前です。 こうした考えの前提には「文脈や環境は変えられないから、環境にはまるためには、それにあった型を仕込む。そうして社会に適応していく」という考えがあったと思います。 脳にメスをふるえないから、認知とか行動といったソフトウェアに介入するカウンセリングのようなリハビリが主流になってきたのです。 誰しも歩き方は、少しずつ他人と違うでしょう。その違いは、ある範囲までは個性で済むけれど、その枠をはみ出ると不適応とみなされます。そして大事なのは、不適応かどうかは、時代や社会の文脈によって変わります。ようは歩き方ひとつとっても適応とも不適応とも言えない、グレーゾーンにいる人は大量にいるとうことです。 著作の『リハビリの夜』では、そうした医療問題だけに言及されることなく、緊張が強くてこわばっていた体を他人が介入することで強制的に弛緩させられる。そのようなほどける感覚やリハビリのトレーナーから指示された正しい動きを再現できないときの敗北感について取り上げ、それを「官能」と表現されています。リハビリを語る際に用いられたことのない体感だと思います。 ところが、枠から逸脱した体を社会的なモデルに合わせることを発達と呼び、それを身につけるのが健常だと言われます。 思春期になると、「自分は他人からどう見えているだろうか」といったイメージを伴う監視が盛んになり、意識化されるようになります。 幼い頃からリハビリを受けていた熊谷さんは、早い段階から他人の眼差しによって自分を監視していたのでは? そういう意味では早熟でした。というのも「右手を出したけれども、この動きでいいのか?」といった意識が常にあったからです。箸や茶碗を持つとき、みんなはいちいち考えず、自己制御をオートマティックでやっているけれど、私は自己制御をマニュアルでやっている感じで、一挙手一投足について規範と照らして「これでいいのか?」という眼差しを向けていました そのような自己監視が自分に対して行われると体は緊張します。 http://www.mammo.tv/interview/archives/no332.html
by kohanana22
| 2014-04-27 05:07
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