簡単に眠りに落ちることができて ぐっすり寝付けて
何か問題や不安が起こったら 立ち向かい 楽しいことは思い切り楽しんで 味わって そんな風に過ごしていくことができるといいな。。 #
by kohanana22
| 2008-03-12 00:55
前見て ちょっと感じ悪いかも 真面目に受け取ってない感じがある と感じることのある
文章を書く人の文章をまた読んで、また違う印象を持った。 この人は人に好かれよう、気に入られようとしてないなー って。 そんなこと知ったこっちゃないですよ、って感じで。 正直に書こう、なんて意識に上ってもいないだろうな。 思ったこと言ってるだけで。 そうだよねー、いくら人が強制しようとしても、わたしがなに思うのも自由だし、そんなの誰かが強制できないもんね。人がどう思うか、って思うと気使うし、人からこう思われたいとか思うと自分を演じるし、人からよく思われたいと思うとかっこつけるし、自分隠したりするし、つまり疲労する、疲れるんだなー。 だから私は疲れるんだな。たぶん。 好きなように受け取って、好きなように感じて、って思ってられると楽だもんなー。 人がどう思うか気にして、ぐったぐだになっちゃうんだなぁ。。 人によく思われたくて、疲労して、人によく思われようと存在しようとする自分を想像して、それだけでもう疲れちゃったりするんだな。。 自意識過剰って疲れるものだ。。 #
by kohanana22
| 2008-03-08 02:06
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共感されないことに不満を感じることがある。優しく話を聞いてもらっているのに。
何にどこに共感するかはその人の自由だ。それに共感するフリをするのは疲れることだし 嘘ついて共感してるフリをしてもらってもうれしくない。 それなのに不満を感じることがある。私の共感してほしいポイントに共感してくれないことに。 今まで共感してもらってうれしかったとき、安心したとき、ほっとしたときって、なにげなく、何を期待するでもなく 話してて、それで共感をもらって、あ、うれしいと感じれたとき 自分は共感ほしかったんだ、と気づく、気づいて知ったことに安心するみたいな感じだと思う。 共感をもらえてうれしかったときというのは 自分の中でもやもやしてた感情にちょうどヒットした感じ、なんかなと思う。 つまり共感をもらいたい感情というのは 自分の中で処理しきれていない、自分の中に居座ってしまってる感情、ってことなんじゃないか。 共感を強要することはできないけれど、共感して欲しかったのにしてもらえなかった!と思うことがあるのなら、それは自分の中になにか感情のしこりがある、と捉える機会でもある、ということだ。 私に興味を持ってくれる人で その人が 私が大事だ、大切だという事に ちゃんと耳を傾けてくれると信頼できる人ならば、共感ではなくても、伝わった!という感触を感じることができるはず。 あ、、欲しいのは共感オンリーじゃないんだな。伝わった!という感触が欲しいんだな。 伝わった!という感触がほしいというのは 自分の感情が誰かに ということに限るのではなく 誰かの感情が自分に ということでも うれしく感じるんだな。 伝わった!はデカイ。 自分の伝えたいことが伝わった! 相手の伝えたいことが伝わった! はウレシイ。 伝えたいことがワカルことはすごくすごく大事でうれしい。 自分の伝えたいことはなんなんだろう。?? #
by kohanana22
| 2008-03-01 19:11
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自分の中で思い描く、理想のかたちっていうのがあって、それに沿って理想に近づけようとすると現実の「いま」を見失っちゃったりする、みたいな感じなのかなぁ。。(あれ?言ってることよくわかんないかも??)
>うん、そうなんだ。ちょっと嬉しいし安心できると思うけど、深い安心はそれとは違うんだよね。見てもらえて安心できたら。。本当の幸せ感じられそう。 うん、自分を隠さずに出して、見てもらいたい相手に見てもらって、ってすごーく安心する!自身になるよね、うん。あれ変換間違った、でも自信になるし、「自身」にもなるんだよね!自分自身にさ。 >支えてもらわないと、今は自分の奥深くに閉じ込めた気持ちを見つめられない状態 だからカウンセリングによって、支えてもらいながら見ていくんだと思います。 信頼させてほしい。かぁ。。○○さんがカウンセラーに対して、カウンセリングとは この人と私の人間関係を作るためのものだと思っていたら、警戒心が湧いてきて しまうんじゃないかな。 相手も人間だから、対人関係って感じがするけど、本当の目的は「○○さんが気持ちを吐き出すこと、それを知って受け入れていくこと」だから、良いカウンセラーと いうのは、○○さんが吐き出しやすい人、黙って聴いてくれるとか、うまく相槌を してくれるとか、興奮して私情をはさまず、空気のように見守ってくれる人、じゃない かと思います。 安心して話せる人かどうかは、○○さんが自分の気持ちを聞いてもらっていて どんどん吐き出せる人かどうか。気がついたらいっぱい喋っていた、と感じるなら 相手は聞き上手な、自分を安心させてくれるカウンセラーなんだと思います。 話し手になるっていうのは、、こう、うーん、、なんだろ。相手が信用できるっていう気持ちを持たないと出来ない。出来ないっていうのも決め付けすぎか。。うんこれはkさんがカウンセラーに対する気持ちで書いてくれたけど。怖いんだよね、自分の気持ちがいい加減に扱われることが、あー、それが怖いのか。。それだ、うん。自分の気持ちを大切に扱って欲しいんだよね。。うん。 ひとが自分の気持ちを大切に取り扱ってくれるって信頼する気持ち?信頼できる気持ち?そういうのがなくて、薄くて、それが欲しいと求めてるんだな、、うん。。。 こうひとは信用できる!って思いがあれば、人に対するハードルは低くなるんだけど、ひとは信用するの怖い!って思ってると人に対するハードルが上がっちゃうんだよね。。要求が増える。私を不安にさせないで、とか、私を受け入れて、とか、私を安心させて、とか。。 人に対する抵抗が少なければ、ハードルが低くて、その人といる時間を楽しみたい、とかそのひとはどんな音楽が趣味なんだろう?とか、聞きやすい、居易い感じがするよね。 うん、見てください、って自分を表現してるのに、全く自分を見てもらえない悲しさ、さびしさ、怒りとか、、そういうものがあるんだよね。。 そういう悲しい思いをしたくないから、っていう思いがあるから自分を守ってしまう、それに見せたい相手、見てもらいたい相手がいない寂しさ、、とか、、 #
by kohanana22
| 2008-02-20 05:53
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