映画作家

映画作家

河瀬 直美 さん

Naomi Kawase

自分を見つめることが生きること。
それが撮ることの意味。

余分な説明もセリフもない。
それでも伝わってくるのは恋人や家族との絆。
どれも失いたくないけれど、失ってしまう大切な何か。
河瀬直美監督の作品はそうした
ヒリヒリとした切ない思いに満ちています。
取り替えのきかない大切なことがらを撮り続ける
河瀬さんの素顔に迫りました。      
       
かわせ なおみ

1969年奈良生まれ。映画作家。89年大阪写真専門学校(現ビジュアルアーツ専門学校)映画科卒業。 自主映画「につつまれて」(92)「かたつもり」(94)が、 95年山形国際ドキュメンタリー映画祭で国際映画批評家連盟賞、 審査員特別賞をそれぞれに受賞し国内外で注目を集める。 「萌の朱雀」(96)で、97年カンヌ 国際映画祭カメラド-ル(新人監督賞)を史上最年少受賞。■KAWASE naomi Official HomePage: http://www4.ocn.ne.jp/~sentinc/
 


 いや、実は学校を卒業してから「自分には才能がない」と考え、一度就職しました。関西のある映像会社に就職して、カラオケビデオの製作を行っていました。一度は映画製作という道は諦めたんですね。 映画にこだわりを持っている人だと、「こんなしょうもないもん」と思うかもしれないけど、でも実はそういう仕事の中にも、自分がやりたいと考えていることに必要なことは隠されているんです。

 そのころはバブル経済の絶頂期でしたから、制作費も潤沢でロケ地を探すためにいろいろとまわることができました。例えば、夕日の見える場所を見つけたり。そういう作業は映画作りに通じるものがあります。
 そうこうするうちに、専門学校から「もう一回自分の作品を作ってみたらどうか」と声がかかったんです。

――本当は学生時代から才能を認められていたんじゃないですか?

 私は授業を欠かさず受けるような優等生でした。吸収できるものは吸収しようと思っていたんです。でも、授業に出てきてない子の書いている企画書のほうがおもしろかった。街でバイトしていたり、おもしろい集まりに参加して好き勝手にやっている子だと、いろんな人間に会っているぶん、いい企画を、おもしろい映画をつくれる気がしてたんです。
 才能なんてものは授業のような決まった枠組みから生まれるのではなく、世の中に身を置いている人に備わっているもんなんだろうなと思いました。でも、私は学校教育のレールに乗ってきたので、いまさらそこから外れられへんなーと思ってました。

――では、学校から声がかかったことはチャンスだった。

 講師として採用され、機材室の機材管理をしながら、週何時間か映画を観る授業を担当していました。映画を作りたいと強く思ったから戻ってきたんですが、なかなか忙しくて、また「そんなことしなくていいやんか」とつい思ってしまうくらいの給与はもらっていたんですね。周囲に映画を撮っている人はあまりいたわけじゃないけれど、作りはしたものの大赤字で次に作る意欲も失せてしまってという話はよく聞きました。だから「止めたほうがいい」とみんなから言われました。でも、そう言われたからといって納得できたわけじゃない。
 やはり自分を試したいというか…、自分を逆境に置くことが好きだったので、どういう映画でもいいから1年に1本は撮ろうと決めました。やりたいことをやって自分を困難な場所に置いて、はい上がろうとしていたら、その姿を見た人が応援してくれるようになって、作り始めて2年目の作品(「につつまれて」)ができたんです。

――そういう思いを抱いて実際に撮れてしまったところがすごいですよね。

 うーん、作るよりもウンチクを語る人はいっぱいいましたよ。専門学校のクラスには女性が3人くらいしかいなくて、それも編集や記録で監督志望はいなかったんです。周りの男の人は私が企画を出すと「シュルレアリスムがどうだ」とか「ヌーベルヴァーグがどうした」とか言って…、さっぱりわからん(笑)。そういう人たちは言葉だけで、だから「あんたらほんまに映画作る気あんの?」と思ってました。

――河瀬さんのこれまでの作品には、家族の離散や恋人との絆が解体する中で自分の存在を確認するといったテーマが見られますが、そうしたテーマは昔から一貫していたんですか。

 学校の講師に「自分にとってのっぴきならないもの、それをテーマにしなさい」と教えられました。だから、そう言われるまで考えたことなかったです。当時は、のっぴきらないって?とそれ自体の意味がよくわからなかった。
 かけがえのないものについて考えたことがなかったんです。けど、それって何だろうと考えるうちに、流れてしまっているだけの日常に目を向け、自分はいったい何を感じているんだろうとか考えるようになりました。
 そういう経験をすると、映画を撮っていない時でも周りの人やものに興味を持てるようになり、何気ない風景の変化に気づくようになるんですね。そこからずっと考えていったときに出てきた自分にとっての「のっぴきならないもの」は、家族だったり恋人だったり、ある場所の風景だったりする。そうするうちに私が日常に感じるある種の手触りがテーマになっていきました。

――父親を探す「につつまれて」を撮られるまでは自身のルーツについてはずっと心に秘めていた?

 仲のいい友達なら言ったかもしれないけど、クラスで顔を合わせるだけの間柄ならそういう話はしませんものね。ただ、私の家はちょっと違うなとは思っていましたけど。

――河瀬さんはご両親が離婚し、お祖母さんと暮らして来られたわけですが、妊娠中のお母さんがお父さんに蹴られていたなど、あまり正視したくない事実も明らかになります。そういうルーツを追うテーマはつらくないですか?

 つらいですねぇ(笑)。でも考えないほうがもっとつらい。空っぽすぎてね。一瞬、楽しいと感じていても、ふと立ち止まると自分が空っぽだということを感じますから。

――空っぽですか。

 わからないから知ろうとするのは人の根っこにあるもんでしょう。私の場合、父も母も家にいなかった。こういう状態は何なのやろう。母には会ったことはあるけど、父に会ったことはない。そういうことは突き詰めなくても生きていけるけど、突き詰めたほうが生きている感じがするんです。

――ところで「萌の朱雀」では映画を撮り始める前から奈良の西吉野村に住み、畑仕事もされていたそうですが、そういう映画作りの姿勢とも突き詰め方が共通しているようですね。

  村はなかなかよそ者を受け入れてくれないんです。でも映画を撮るにはその人たちと近づかないといけない。私にはそういうやり方しか思いつかなかったんです。
 諦め悪いんですね(笑)。「おまえは最悪や」と言われたとしても、「いや、そんなことないはず」と思ってしまうんです。そう信じるし、言い続ける。村の人に撮らんといてくれと言われたこともありましたけど、「いや、撮ることは絶対に意味があるはず」と思っていましたから、そう言い続けました。


――人ときちんと向き合っていたいという思いが強い?

 かかわりすぎてしんどくなることもやっぱりありますよね。落ち込むときは落ち込み、嬉しいときは嬉しい。そういう感情を押しとどめたほうが平和に暮らせるんでしょうけど、それだとくたびれた人間になる気がしますね。なんか、自分が生きていない感じなんですね。一回しか生きられへんねんから、死ぬときに「あれやっぱりやっていてよかったな」と思えるように生きたいんです。
 平々凡々と生きてきたことよりも、傷ついたり、自分を見つめ続けたりしたことをすごく鮮明に覚えているものでしょう。そうした思いが後に何かになる。また何かになろうとする。それは相手に確かな形で表現できるものでなくても、自分の中で納得できるものになるんだと思います。そういうことが生きることじゃないんでしょうか。

――今後についてですが、いま少年犯罪についての作品を考えられていると聞きました。短絡して言えば、人とコミュニケーションできないことからくる事件だと思います。

 自分さえ持っていれば何も迷うことはないけれど、情報が先行している世の中ですから、自分で何かを考える前に答えが出てしまっている。でも、本当にそれは答えなのか。信用してはいけないと思いますね。そういうメディアのありようや、真実はどこにあるかを描きたいです。
真実は人それぞれに違うでしょうが、答えはメディアや情報といった外にあるのではなく私たち自身の中にあるはずだし、そう信じて生きていきたい。それを描きたいですね。
[PR]
by kohanana22 | 2006-11-22 11:51 | Trackback | Comments(0)
トラックバックURL : http://kkup.exblog.jp/tb/3863567
トラックバックする(会員専用) [ヘルプ]
名前
URL
画像認証
削除用パスワード


<< 絵 MAIKO >>